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2011.9.5: Report "Medical Relief Support at Kesennuma Public Hospital"

posted Feb 14, 2012, 1:23 PM by BJMRI 事務局   [ updated Feb 14, 2012, 1:25 PM ]
Below is a report from a Gynecologist who volunteered at Kesennuma Public Hospital in September, 2011.
 
 
 
 
 

. 気仙沼市立病院

 

201195日夜より9日夕方まで、気仙沼市立病院でボランティア活動に従事いたしました。

 

気仙沼市立病院は震災前、月間30程度の分娩を取り扱う中規模中核病院だったそうです。常勤医は2名でそのお2人で分娩の他に悪性腫瘍の手術や治療、腹腔鏡の手術などもこなされておりました。

 

震災後、周囲の分娩施設減少に伴い現在分娩数は40から50件に増加しているそうです。これは産婦人科医の方ですと実感があるかと思いますが、毎日一人か二人産まれることになり、日常業務が連日延々と続くことを考えると少しずつですが確実に疲労が蓄積していくことになります。

 

そこで、全国の有志の産婦人科医がおよそ1週間交代で妊婦健診と分娩のお手伝いをしており、私もその一員として働かせていただくことになりました。

 

妊婦健診は午前中におよそ20人。手伝いに行った身からするとすこし物足りない気分でしたが常勤の先生には「それだけでも随分違います」と言っていただきました。

午後は常勤の先生方が手術に入られますので、その時間の救急外来対応と分娩がある場合はその対応ということになりました。私が働いた期間に産婦人科救急の方はいらっしゃいませんでした。

 

夜間は分娩がある場合、私が担当しました。5日間で5件の陣発入院があり、そのうち3件の正常分娩と1件の鉗子分娩を介助しました。赤ちゃん1名はTTNにより小児科管理となりましたが,

次の日に状態は安定しております。いずれの分娩も明け方の5時頃でしたが,

時差ボケのためか、毎朝4時には目がさめておりましたので、異様に元気いっぱいで分娩に臨むことができました。

気仙沼市立病院産婦人科スタッフと

 

 

気仙沼市立病院周辺は比較的片付いていましたが、海の中には依然として瓦礫が残り

海岸沿いには家や車が転がっていました。瓦礫を積んだ何台ものダンプとすれ違いました。
 
 

 

 

2. 陸前高田訪問

 

気仙沼での支援を無事に終え、その後 偶然、陸前高田市訪問する機会を得ましたので報告させていただきます。

現地で数ヶ月間ボランティア活動に携わっている知り合いに会うことができましたので、陸前高田へはその友人の車を使いました。目的はボランティアではありませんが現地での復興状況を多少なりとも皆さんにお知らせできればと考えました。高田病院周辺を車でまわりましたが、本当に何もない状況でした。ただ、以前の高田市の様子を知らない自分にとっては比較の対象がなく、想像力が働きませんでした。これは、瓦礫の撤去が以前より若干すすんで被災直後よりは復興準備が進んでいることも関係しているかもしれません。

現在、高田病院は別の場所で、仮のプレハブで診療を継続しています。こちらの病院に勤める方の状況を間接的に伺ったところ津波の際には4階屋上に職員、患者の多くが避難したそうです。津波は4階ギリギリまで迫り、多くの人々が身の危険を感じたそうです。また、津波の後も、屋上で一晩過ごし、その間に、状態の悪い患者さんの中には命を落とされた方もいらっしゃるそうです。

私たちは医療のお手伝いをしたわけではありませんが、仮設の高田病院入り口には全国からの医師が交代で支援に訪れている旨の張り紙をみつけました。特に印象に残ったのは小児学会から派遣され交代で勤務に当たられている小児科医の方々です。他の診療科でも学会主導で医師を派遣しているとは思いますが、特に小児科医不足の日本で関係者のご苦労を感じました。

医療からは離れますが、小児に関して、県のボランティアの友人から聞いたところでは、子供の心のケアも大変だということです。些細なことではありますが、今、子供たちのたまり場がないそうです。もともと子供たち、特に思春期の中高生のたまり場的なものが少なかった地域のようですが、震災、津波の影響でファーストフード店や図書館などの公共施設もなくなってしまいました。仮設住宅では親と一緒ですから部屋の中で携帯電話を使い友人と話すことも難しいようです。私たちが車でまわっている間、崩れた港の近くで話し込む中学生を何度か見かけました。たまり場と言うだけでは行政的に予算がつけづらいのも容易に想像できますけれども、子供たちには長期的な心のストレス発散も課題となっているようです。件の友人はその点を中心に奮闘しているそうです。

海岸線が移動したことにより海の中に沈んだ野球場

 

被災した県立高田病院

 

 

 

3.石巻の開業医支援

 

 

今回が日本での支援活動最後の報告となります。

日本帰国後に急遽決まったことですが、石巻の阿部クリニックで日勤および当直の支援活動をしてまいりました。

 

震災から半年たった現在では、阿部クリニック周辺はだいぶ片付けられていましたが住宅街の所々に櫛の歯が欠けたように更地がありました。

阿部クリニックの院長先生の自宅も更地になっておりました。更にクリニック内部の壁には肩の高さのあたりまで津波が押し寄せたことを記録するメモが貼られておりました。

 

クリニックの内装は既にだいぶ奇麗になっていたものの、それでかえって震災後だということを忘れてしまいそうになりました。当然のことながら患者さんの中にはまだまだ精神的に不安定な方も隠れているようですので普段の診療以上に気をつかいました。

 

クリニック自体はフリースタイル分娩を行う施設で、私の当直中に二人のかたの介助をしました。正直申して、私レベルではフリースタイル分娩は急変時の対応が難しいので好きではありませんが、「ありあわせのもので医療を提供する」

しかない状況だと割り切って出来る限りのことをしました。

 

近隣の他の開業医の先生方も被災されて分娩施設がほとんどないようですが幸い近くの日赤がハイリスクに関して引き受けてくださるそうですので、ずいぶん心強かったです。

 

以上が私の経験のまとめです。

初めての施設、震災後半年後の支援には直後の支援とは別の困難がありました。物品が足りない状況ではあっても現地の患者さん達は、徐々に日常診療レベルを期待しつつあります。

診療を日常レベルに戻すためにも行政などからの支援により物品を補う必要をまだまだ感じました。

 

今回多くの方々のお力添えによって被災地を訪問することができました。微力ではありましたがお手伝いできたことは私の中で大きい意味を持ちます。今後も何らかの形で支援に関わらせていただけたらと考えております。ありがとうございました。

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